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zoom RSS オペラの演出

<<   作成日時 : 2017/05/04 15:02   >>

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私はオペラ歌手の歌唱や演技についてわかったふうな品評はしない。私は評論家ではないからだ。評論家は歌手の歌唱や演技、指揮者とオーケストラの演奏、また、演出、舞台装置、美術、衣装などを批評する。それが彼らの仕事だからそのこと自体に文句をつける筋合いはない。

そして、彼らが歌手たちをほめている場合はさして問題はない。私が不満をもった歌手たちをほめている場合でも、それは人それぞれの好みの問題だからと受け流すことができる。

しかし、私が好きな歌手、気に入っている歌手たちをけなしている場合は事情が異なる。たとえば「テレサ・ストラータスは高音がでない。」とか「グンドゥラ・ヤノヴィッツは演技が下手だ。」とか言われるとストラータスやヤノヴィッツのファンである私としては心中穏やかでない。「ストラータスのどの歌を聴いてこんなことを言うのか!」「ヤノヴィッツのどの演技を見てこんなことが言えるのか!」と怒りがこみ上げてくる。

このような評は、彼女らに向けられているというより私自身に向けられているように感じる。私が侮辱されているように感じる。それがファンの心理というものだ。

だから私は、自分が「どうかなぁ」と思ったときでも「夜の女王は今日は少し体調が悪かったみたいだ」とか「このアルフレードは『乾杯の唄』では音程がはずれているようだが、きっとオーケストラの音が聞きにくかったんだろうな」とか差しさわりのない感想を持つことにしている。そうでないと、「どうかなぁ」と思わない人たちに対して失礼だからである。

しかし、演出については断固言わせてもらう。私の代わりにMETの元支配人ジョセフ・ヴォルピー氏に言ってもらおう。

  私はヨーロッパ人が「ディレクション・オペラ」と呼ぶものに本当に嫌気を感じるようになった。演出家が個人的な「見解」によって作品を何か訳の分からないものに変化させるのだ。演出家は観客が理解できる言葉で説明するよう心がけるのではなく、自分自身の趣旨でストーリーを書いていたため、私に言わせればそのような上演作品は裏目に出ていた。スペクタクルや、エンターテイメント、楽しみとしてのオペラが置き去りにされている。このように革新者であるかのようなふりをして学識をてらう人は、本当はオペラの注釈をしているに過ぎない。私は学校に行きなおすようなことには興味がなかった。(「史上最強のオペラ」ジョゼフ・ヴォルピーP154)

私はヴォルピーの見解に全面的に賛成だ。

数年前のザルツブルク音楽祭で演じられた《ドン・ジョバンニ》をテレビで垣間見たが、ドン・ジョバンニがワイシャツ姿で出てきたのには驚いた。こういう演出は近年めずらしくないらしい。特にザルツブルク音楽祭はいつもひどいようだ。私はこういうのは嫌いである。

《仮名手本忠臣蔵》勘平腹切りの場で、猟師の格好をした勘平が「かる、着替えるからワイシャツとネクタイを出してくれ」とでも言ったら、私は二度と歌舞伎を見に行かない。

2005年のザルツブルク音楽祭のヴィリー・デッカー演出《ラ・トラヴィアータ》も同じ意味で噴飯ものだ。出演者の服装もおかしいが、「人類滅亡まであと何時間」みたいな時計を持ち出してきてこのオペラをつまらなくしている。デッカーが《ラ・トラヴィアータ》をどう解釈しようと勝手だがこんな芝居を高い金を払って見に行こうとは私なら思わない。

フランコ・ゼッフィレッリは教会関係者と思しき人たちとの間で「ヴィオレッタは娼婦だ。だから神聖になれる。これはキリスト教の教義の基本だ。彼女はマグダラのマリアだ。」という趣旨の会話を交わしている(ステファニア・ボンファデッリがヴィオレッタを歌い、プラシド・ドミンゴがオーケストラの指揮をしたDVDのボーナス映像)。
これがゼッフィレッリのヴィオレッタ観であり、多分、ヴェルディのヴィオレッタ観でもある。「神様は許してくれても世間の人たちは許してくれないのね。」というヴィオレッタの嘆きの言葉がこのオペラの核心だ。私はそのような解釈のもとに演出された《ラ・トラヴィアータ》を安心して鑑賞することができる。

ところで、今年6月にイタリアの「パレルモ・マッシモ劇場」が来日して≪ラ・トラヴィアータ≫を上演する。デジレ・ランカトーレがヴィオレッタを歌う。

5年まえにランカトーレが東京オペラシティ・タケミツホールで歌ったのを私は聴いた。すばらしいコロラトゥーラ・ソプラノだった。「この人がそのうちヴィオレッタを歌うことになったら聴きたい」とそのとき思った。
まさに今回その機会が訪れたのだ。

ただし、パンフレットの写真を見ると、どうも2005年のザルツブルク音楽祭を思い出させるようなものだった。
もしヴィリー・デッカーの演出であればたとえランカトーレが歌うのであっても私は行きたくない。

それで私は主催者に電話して、今回の≪ラ・トラヴィアータ≫はザルツブルクの変な演出ではないことを確認してチケットを買った。

6月公演の感想は6月下旬に必ず書くこととする。

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